2024夏アニメ

アニメ日常

気になったもの。

観ている作品

1話を観た限りでは、以下の作品以外は99.9999%の確率で観ないはず。

天穂のサクナヒメ

TVアニメ『天穂のサクナヒメ』
天穂のサクナヒメ テレビアニメ公式サイトです。2024年7月6日より毎週土曜23:00~テレ東系列ほかにて放送!『天穂のサクナヒメ』に関する最新情報をお届けします。

まさかアニメ化するとは思わなかった作品。

元はSwitch、PS4、Steam他で発売したコンシューマーゲーム。
「ルーンファクトリー」シリーズと同じマーベラスから発売されたゲーム(開発元は別)で、農耕・バトルといった要素で固めている点はルーンファクトリーシリーズと似ているが、あちらと異なるのは、バトルでは横スクロールアクションが採用されており、農耕は稲作に完全特化している。
武器や防具などの装備も設けられているが、ルーンファクトリーシリーズほどの奥深さはなく、クラフトによるアレンジ・継承といったシステムも存在しない。
シリーズ初作として見れば出来は悪くない方で、続編が仮に出るのであればさらなるクラフト要素やバトルの進化を求めたいところ。
ちなみに2024年7月17日まで約2000円に割引されているので超お買い得。

アニメの話に戻るが、ライデンフィルムが制作した同じくコンシューマーゲーム(Switch他)が原作のアニメ「ライザのアトリエ」は、ただ無駄に太ももを強調し続けてメインキャラクター達の目的も達成できず微妙な感じで最終話を迎えてしまったガッカリ作品になった(ゲームは『1』~『3』のサブクエスト・DLC含め全制覇済みなのでなおさら不足感・不満が強い)ため、P.A.Worksの本作「天穂のサクナヒメ」には期待したい。
少なくとも、出だしの勢いとOP・EDは十分満足できるレベル。

推しの子(第2期)

アニメ『【推しの子】』公式サイト
「この芸能界において嘘は武器だ」赤坂アカ×横槍メンゴの豪華タッグが全く新しい切り口で”芸能界”を描く衝撃作、ついにアニメ化決定!

2023年春アニメの第1期の続編。
東京ブレイドという漫画作品を実写化する話が主となってくるシーズン。
黒執事などと違って原作は既に読んでいるので、復習+アニメ補完といった目的で観る感じになる。

リアルでは、日テレ制作の「セクシー田中さん」に関する問題が発生してまだ間もない時期。
こういった世情の中で、本作は無事に完走できるかどうかという点も気になる。

狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF(継続)

TVアニメ『狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF』
TVアニメ『狼と香辛料 MERCHANT MEETS THE WISE WOLF』4月1日(月)25:30よりテレ東ほかにて放送。行商人と狼の旅路は、また一から紡がれる。

春から継続して第2クール突入。
前期までで特に問題もなく安定して視聴できた作品。

羊飼い・ノーラと共に金の密輸に何とか成功した商人ロレンスと賢狼ホロは、新たなる冒険・取引へ。

読んでいる漫画

アニメとは別に読んでいる漫画。

文豪ストレイドッグス

アニメ第1作目から原作に入った。

アニメは天人五衰・福地桜痴戦を終えてストップしている状態。
特筆すべきは、アニメ5期で福地桜痴戦クライマックスのタイミングの時期が原作も丁度全く同じ部分を展開しており、アニメと漫画のリリース頻度の違いからどう考えても「アニメが原作を追い抜くのでは…」と思っていたが、最終話で本当に追い抜いた
総編集などで尺・話数稼ぎをするわけでもなく、ストレートに原作を追い抜いた。これには本当にビックリした。

福地桜痴との戦いは福沢諭吉の勝利で終わり、ゴーゴリによって仕掛けられたムルソーからの脱獄競争は太宰治が勝利してフョードル・ドストエフスキーは敗北、ワンオーダーも停止となった…
が、中島敦と芥川龍之介が時空剣らしきものを持った福地とよく似た謎の白い剣士と対峙…という場面でアニメ5期最終話が終わった。

白い剣士はアニメオリジナル路線なのか…?と思いきや、実は後に原作で登場するキャラクターであることが最近の最新話で発覚。

フョードル・ドストエフスキーは生存している

初登場時から謎が多く、異能「罪と罰」の能力についても不明のまま、ムルソーを脱獄した後にブラム・ストーカーの使役する眷属吸血鬼によりトドメを刺されついに死亡した……。

というのが原作よりも先に描写したアニメだったが、実は生存していた。
アニメ5期でも明確にドストエフスキーの死体が描写されたわけではなく、かなりぼかされていた。(映されたのは血まみれの片腕1本だけ)

長らく謎に包まれていたフョードル・ドストエフスキーの異能「罪と罰」の効果がついに明かされた。
それは「自分を殺した人間が次のドストエフスキーになる」という死を超越した転生能力
今回の場合、吸血鬼によって殺されたがそれを使役して「殺害」という行為そのものを仕向けたのはブラム・ストーカーであったため、現在のドストエフスキーが死亡した後にブラム・ストーカーの肉体がドストエフスキーのものになってしまった。

さらに恐るべきことに、次のドストエフスキーになる者が異能所持者であった場合、自身の「罪と罰」の能力を持ちながらその身体の異能を使用できる。
今回のブラムの身体を掌握したドストエフスキーは、ブラムの「吸血種を眷属として使役する」異能をも使用可能。
ただ、転生先の身体の特徴などもそのまま引き継いでしまうようで、かつてブラムが「寺田文の騎士となる」と誓っていたためにブラムの身体を得たドストエフスキーもその誓いには抗えない模様。

だが、最新話でブラムが何故か再登場。なぜ……?

白い剣士は「神人」

アニメ最終話の最後に出てきた白い剣士だが、こちらも同じく明かされた。

  • かつて福地桜痴がブラムの身体に突き刺していた聖剣・ソルズレヴニ(異能と人体を融合する力を持つ剣)
  • 過去と未来といった時間、そして空間を支配する神刀・雨御前(通称「時空剣」)
  • 「武器の性能を100倍にする」異能を持つ福地桜痴

をドストエフスキーが融合させ、その過程で発生した特異点により生まれた神人「雨御前」が、白い剣士の正体。
福地の身体を用いているため福地のような見た目をしているが、福地の人格は特異点の彼方に消え去り、全く別の存在と化している。
そのため、目の前に猟犬部下の大倉燁子が現れても全く動じることなく、圧倒的な力で一瞬で消した。

残った猟犬、天人五衰
天人五衰生死
福地桜痴(神威)ドストエフスキーによって神人・雨御前に変化させられ死亡
フョードル・ドストエフスキー異能「罪と罰」によりブラムの身体を新たな肉体として転生
シグマドストエフスキーの異能を読み取ったことで脳が停止状態
ニコライ・ゴーゴリ生存中
ブラム・ストーカードストエフスキーによって肉体を支配されたが何故か再登場
「猟犬」部隊生死
福地桜痴(リーダー)天人五衰で神威を名乗りながら、猟犬のリーダーも務める。
福沢諭吉とは旧知の仲だが、ある時を境に世界平和への強い想いから
彼との関係に亀裂が生じ始める。
異能は自身の力を100倍にする能力。
これにより、過去・未来・空間を操る一方で射程が極端に短い
神刀・雨御前(時空剣)の弱点を克服している。それ以外でも超強力。
ドストエフスキーによって神人・雨御前に変化させられ死亡
末広鐵腸超怪力。ややアホの子気味だが良い子。
異能は刀の形を自由に変える能力。伸縮、追尾もお手の物。
宮沢賢治とパワー勝負で相打ちとなり、現在は両者共に気絶状態
目覚めたら吸血種と化した条野を相まみえることになるのだろうか。
ちなみに猟犬メンバーの中では福地の正体(神威)を唯一知っていない。
条野採菊細目。鐵腸と深い信頼関係にある。
異能は自身の身体を「微粒子」に変化させる能力。
福地の正体に気付き反逆するが、吸血種となった芥川の異能で
逃げ道の空間を断絶されてしまい、福地に貫かれ芥川に噛まれ吸血種
そのため現在はブラムの肉体を得たドストエフスキーの支配下にあると思われる
大倉燁子福地に強い憧れを持つ幼女。
異能は自身や触れた相手の年齢を自由に操作する能力。
福地の正体と目的(ワンオーダー)を知ってなお、彼の支えになろうとした。
福地が福沢に敗れた後、福地の願いに従って福地にトドメを刺す…
が、ドストエフスキーの策略で福地は神人・雨御前となってしまい、
雨御前によって一瞬で殺され死亡
立原道造潜入捜査でポートマフィアのメンバーとなっていた。
異能は金属操作。これはポートマフィア内では明かしていなかった。
しかし、ポートマフィアで打ち解けていったためにマフィアのボスの
森鷗外の命に従い、武装探偵社を陥れた福地を倒すという行動に出る。
しかし、福地の持つ神剣・雨御前(時空剣)のさらなる能力を知らず敗北。
その後は吸血種となったようなので恐らくドストエフスキーの支配下にあるはず

猟犬でまともに生き残っているのが鐵腸のみ。しかも武装探偵社側とある程度和解しているような感じがあるので、共闘路線はありそう。

神人・雨御前は中島&芥川タッグが倒すのだろうが、フョードル・ドストエフスキーについては大方攻略方法が予想できる。

ドストエフスキーの異能の攻略方法

ドストエフスキーの「自分を殺した人間が次のドストエフスキーになる」という転生効果を持つ異能でほぼ不死身のように思える。

ブラム・ストーカーが眷属の吸血鬼を介してドストエフスキーを殺しても、ドストエフスキーはその能力で殺害の根源であるブラム・ストーカーを正確に転生先としている。
つまり、人の手によって殺害された時点で転生はほぼ決定づけられる。

しかし能力には穴があるように見える。
というのも、「転生先の身体が生存していなくてはならない」という限定条件があるはず。次の転生先の身体が生きていなければ、転生した瞬間に死ぬ、或いは転生そのものが発生しないということになるのではないか。

仮にそうであれば、ドストエフスキーを確実に仕留めて殺すというポイントだけに重きを置くとすると、

  • ドストエフスキーを殺す者は、ドストエフスキーを殺した瞬間に自分も死ぬように仕向ける

という攻略法が浮かぶ。
ドストエフスキーを殺した直後、ドストエフスキーの手の及ばないように自分も確実に即座に死ねるような手段を予め設けるということ。
つまりは「高度な自殺技術を要する」というもの。これは自殺マニアの「太宰治」が最も得意とする攻略法ではないだろうか。

また、自殺なくとも

  • 太宰治の異能「人間失格」でドストエフスキーが死んで転生するまでの間触れ続けることで、ドストエフスキーの死と共に発動する異能を封じる

という手も考えられる。
どちらにせよドストエフスキーが死に関する能力を持っていることに対して、自殺マニアと能力封じ所持の太宰が強いカギを握っていることはほぼ確定だろうか。

かげきしょうじょ!!

こちらも、文豪ストレイドッグスと同じくアニメから原作に入った。

アニメで放送されていた全12話は「かげきしょうじょ シーズンゼロ」という本編の前日譚にあたる話と、第1~7巻(文化祭で演じるロミオとジュリエットのメンバー4人が決定したところまで)で構成されている。第1~7巻の部分では、野島聖などの101期生にまつわる話などが幾らかカットされている。
原作では、穴井一尉の統一性レッスンの途中で「アナゴ声!(+目隠しアナゴさん絵)」と外野が喋っているシーンがあり、これが反映されたのかアニメでの穴井の声優が若本規夫(サザエさんのアナゴなどを担当する声優)になっていた。

因みに、アニメ第5話「選ばれし乙女」でボロ泣きした山田彩子が病院から帰った後の展開が涙腺にヤバイくらいダメージを与えてくる。アニメでここまで涙を流したのは恐らくこの作品のこのエピソードが初めて。これがあって原作を読み始めたという面もある。
ちなみにこのエピソードは、「かげきしょうじょ シーズンゼロ」の一番最後のメインストーリー。

原作本編では、さらさや愛達100期生の次年度生徒・101期生という後輩も加わって、さらに話が進んでいる。

コミックス最新巻では、さらさの恋人・暁也の父である煌三郎の不倫が週刊誌に掲載されるという展開。
よくあるマスコミの迷惑記事…ということにはなっているようだが、煌三郎と一緒にいた暁也、暁也と一緒にいたさらさ、そして煌三郎と一緒にいたさらさ…といった具合で写真を目撃され、今度はさらさにマスコミの手が及びそうな予感が。

ブラッククローバー

アネゴレオン(メレオレオナ)。

エルフ編(悪魔ザグレド編)でロイヤルナイツを率いる形で現れたアネゴレオンの姿(幹部クラスのライアを2話連続でボコボコに殴り続け、転生エルフ5人相手に気絶しても立ち続けるなど)を見て以降、ほぼアネゴレオンの登場を目当てに毎話読み続けている。
劇場版「魔法帝の剣」もアネゴレオン目当て。歴代魔法帝の一人プリンシア・ファニーバニーとたった一人で対決しほぼ実質的に勝った場面も凄まじいの一言に尽きる。

戦闘スタイルは「炎で殴って焼き尽くす」というただただシンプルなものだが、本人のスペックや思想がラスボスをビビらせる(ラスボスに「危険人物」扱いされているほどに圧倒的な力となっている点が魅力の塊。

それ以上に、アネゴレオンは「ただの人間」なのだが「ただの人間とは思えない」何かを常に体現しており、

  • 悪魔と従魔契約しているわけでもなく
  • 精霊に選ばれたわけでもなく
  • グリモワールが四つ葉・五つ葉でもなく
  • 魔法属性が2つ以上あるわけでもなく
  • 呪いの力があるわけでもなく
  • 魔法で改造・禁術で転生しているわけでもなく
  • ハート王国で魔言術式を学んだわけでもなく
  • 真魔法を会得したわけでもなく
  • 疑似的な究極魔法の指導をエルフにしてもらったわけでもなく
  • エルフ、魔神、悪魔、魔女、パラディン等でもなく

クローバー王国の王族ヴァーミリオン家の普通の炎魔法を使うただの人間(のはず)で、同じヴァーミリオンの弟フエゴレオン、レオポルド、従妹のミモザとは比べ物にならないくらい桁違いの人間とは思えない力を持つ。

最新話時点での、エルフでも無いのに自力で究極魔法に到達したアネゴレオンのカッコよさが凄まじい(恐らくこの辺りは劇場版のプリンシア戦を意識しているはず)。
化け物じみた人間とは思えない人間でも、自分が強すぎるが故に誰もついてこなかったと思い込んで自然に籠り一人修行をひたすら積む日々を続けていたのだが、紅蓮の獅子王団員がそんなアネゴレオンの強さと真っ直ぐな信念に惹かれてついてきてくれていたことに気付いた瞬間、究極魔法が発動した。
最早主人公。

その他

黒執事

原作も気になるが、現在全34巻。
Kindleで纏めて購入しようとすると約25,000円。たけえ!!
ということでアニメを楽しみに待つことにしております。

因みに原作はクライマックスに入っており、このタイミングで暫く休載とのこと。

アニメは早くも続編発表。2025年から、「緑の魔女編」が開始するとのこと。
悪魔、死神、天使(パラレル)、動く死体(ビザール・ドール)に続いて魔女…!?
サーカス編(Book of Circus)、殺人事件編(Book of Murder)、豪華客船編(Book of the Atlantic)、寄宿学校編と同じく原作路線の話の模様。

アニメもペースアップして原作に追いつこうとしている感じがあるので、やはりアニメを待とうという次第。

継続中

「であいもん」「大室家」も引き続き読んでいる。

苦手な作品

アニメや漫画などの供給量が過多となっている現代で、問題になっていると個人的に感じる部分。
そういった問題を多く抱えている作品は苦手。

異世界転生系

ある時期からかなりの数が供給されるようになったジャンル。
元の世界で死んだ後、神によって異世界に転生して第2の人生を送るというものが殆ど。
作品タイトルも「○○が異世界に転生して△△」など、かなり長めになる傾向がある。

そこまでならある程度許容できるが、問題なのはその世界の舞台設定や転生主人公のスペック。

ステータスウインドウが表示される異世界

転生した主人公が異世界で自他のスペック(能力)を確認するために、空間上にウインドウを出現させてステータスを確認するという、ゲームのUIを強引に引っ張り出してきたかのような設定。

キャラクターの特徴を数値・文字化している点が、ゲームの世界を中途半端に再現したかのようで、これが出てくるだけでかなり萎える。
「異世界転生ってやつか…。ってことは、ステータスは…」いやいやいや……。

キャラクターの能力を数値化する設定は異世界ものが現れるよりも遥か前の作品から存在はしている。
例えば最近リメイクされた『シャーマンキング』でも巫力を数値で表示したり、『うえきの法則』であれば天界人の天界レベルを天界獣が示すなどといったものがあった。

これらは作品独自の「巫力」「天界レベル」といった独自かつ限定的な要素を数値で表示しているのであって、キャラクターの全てを数値・文字で表記しているわけではない。
特に『うえきの法則』では、中学生達が神候補から授かった「能力」(○○を△△に変える能力)がバトルのカギになるのだが、この能力は戦闘が始まらなければ分からず、中には能力の弱点を補うために全く別の能力と誤認させる戦法を取るなど、能力バトルにおける戦略性を活かしている。

一方、殆どの異世界モノは、ステータスウインドウに表示されたレベル、スキルの数やスキルレベル、アビリティ・特殊能力が可視化ないしは主人公だけが一方的に盗み見でき、バトルにおける所謂「謎解き要素」が不足しており、スキルの質にものを言わせただけのパワーゲームになっている場合が多い。

主人公が有能過ぎる設定

転生時に、(異世界住人の常識では)あり得ないほどのスキルの数やデメリット無しの優秀なスキル、能力を獲得している設定を指す。これそのものに「なんで???」という疑問が真っ先に生じるが、取り敢えずそこは置いておくとして…。

主人公が他とは一線を画した特殊能力を持っていて、最終決戦などで開花するなどの設定はよくあるし王道でもある。

例えば『ブラッククローバー』であれば、主人公アスタはその世界では誰もが当たり前のように魔法が使えるのに「魔力を一切持っていない」特異体質があり、さらに五つ葉のグリモワールに選ばれ魔力を持たないが故に「反魔法」が使える。
反魔法は魔法を無力化する効果があるが、それだけで魔法騎士団長クラスの魔導士達や悪魔らに勝てるほど甘くはなく、反魔法をどのように扱って自身の能力を伸ばしていくかということに重きを置き、反魔法を司る悪魔・リーベの掘り下げなどもされた。

『ベイブレードバースト』においても『第3期(超ゼツ)』では、主人公・赤刃アイガは誰よりも強くベイブレードと共鳴できるという唯一無二の才能を持っていながらあまりにも純粋すぎるが故に、宿敵・ファイに「ベイを破壊する楽しみ」「悪魔の共鳴」を植え付けられ、「自身にとってのベイブレードとは何なのか」という答えを中々見出せず、才能が強すぎるが故に作中主人公(アイガを除く、蒼井バルト、虹龍ドラム、朝日兄弟、大黒天ベル)の誰よりも苦しみ迷い続けた。
そうした果てで「自分自身のベイブレード」とは「自分のベイブレード(アキレス)との絆を貫くこと」という答えに辿り着き、世界チャンピオンの蒼井バルトをタイトルマッチで倒して新たな世界チャンピオンとなり、後のシリーズ(第4期ガチ、第5期スパーキング、第7期QuadStrike)でもその座に君臨し続けている名実共に最強ブレーダーとなった他、この蒼井バルトとのタイトルマッチが伝説的に語り継がれている。

『遊戯王デュエルモンスターズGX』でも、主人公・遊城十代はデュエルアカデミアへの入学当時からデュエルを素直に楽しめるという子供の純粋さ故の強さを持ち、セブンスターズや影丸(三幻魔)、斎王との戦いに勝てた一方、その先で「命」を賭けた死を伴うデュエルと直面し緊迫した状態が続いたことで、デュエルを素直に楽しむことができなくなっていき、心の闇をユベルによって利用され前世から持ち続けていた「覇王」の力を暴走させられ、取り返しのつかない過ちを繰り返していく。
しかし、仲間達の犠牲の果てで自らの幼い心を成長させ「覇王」の力を真に制御しユベルとの和解を果たすことで心が「子供から大人へ」成長を遂げるという本作のメインテーマを成し得たのだが、それでも十代の象徴である「デュエルを素直に楽しむ気持ち」は取り戻せずにおり、そんな彼を最後に救ったのは前作主人公の武藤遊戯(名も無きファラオ=闇遊戯=アテム)という、見事なストーリー構成を築いた。(この作品で『子供から大人へ成長し社会へ進出していく』という描写がされているのは主人公だけでなく、彼の仲間達にもそれぞれ描かれている)

しかし、異世界モノでよくありがちな「あり得ないほどのスキルの数や優秀なスキル、能力を獲得している」作品ではこういったカタルシスが描かれることは滅多になく、最初から能力を持って存分に使用して勝利したり、自前の力で少し悩んで解決し次の話へ進むといったことが殆ど。

強力な攻撃を使う割には大したデメリットも無いために駆け引きすら存在しない、という面も見られる。
先にも述べた通り、スキルの質と量にものを言わせただけのパワーゲームになっている場合が多い。

能力バトル系『うえきの法則』では、最強能力「理想を現実に変える能力(レベル2は「触れたものの重力を自由に操作する」)」の限定条件は「発動する度に寿命が1年減る」というもので、無暗に使いまくればその数だけ寿命が削られていく恐るべきリスクを持っていた。(10回使うだけで10年分、50回使えば50年分の寿命が削り取られる)
また、最強候補の「1秒を10秒に変える能力(レベル2は「10分間(能力適用中の時間。敵から見れば1分間)だけ自分の身体能力を10倍にする」)」の限定条件は「武器を持たないこと」で、時間操作系能力で武器や得物を使うことができればそれは当然強いということで能力の適用には敢えてそれらが封印されるというものだった。レベル2の時間制限10分が経過すると反動で身体が一切動かなくなり気絶・戦闘不能状態に陥る、諸刃の剣。
因みに神候補から与えられる能力は1人1つ(ロベルト十団の明神は不正で2つ所持していた)で、天界人は能力に加え生まれつき使用可能な「神器」も使用できるが、普通の能力者でも実力で天界人に勝利する展開もある。
中には与えられた能力を敢えて一切使用せず己の肉体のみで戦いを貫き、能力を活かす者どころか天界人にさえ全く引けを取らない実力で天界バトル終盤まで勝ち抜いた「李崩」というキャラも存在。

その他、異世界モノでは主人公以外に同じ超強力能力を持った転生者が出ることも殆どなく、「ぼくのかんがえたさいきょうキャラクター」というコンセプトがこういった異世界モノの根本にあるのだろうが、それを擦り続けた結果、作品としてはかなりチープになってしまっているという感じが強い。

因みに、アニメ『牙狼 -炎の刻印-』の主人公、レオン・ルイス。
完璧超人というわけでもなく未熟中の未熟で、ホラー(敵)との戦績が決していいわけでもなく、守りし者としての使命をまるで果たせていないという超未熟者の状態から話が始まる。
そんな彼が1話毎に成長していく……のではなく、1話進む毎にレオンの未熟さが露呈していくと共にレオンが厳しい現実を見せつけられ心理的に追い詰められていく。
第1クールの12話分でレオンを心理的に徹底的に追い込む構成となっており、第2クールの13話以降も心理的成長を遂げても恩人や父親を救うなどまるで救いがない。一応、心理的に大人へ成長し守りし者としての使命を見つめ直し、仲間達と共にラスボスを倒したのだがそれでも失ったものが余りにも多すぎており、シリーズどころかあらゆるアニメと比較して観ても、ここまで壮絶な運命を辿った主人公は珍しい。

世界観の作り込みが甘い・解説不足な作品

「なんでその世界観にしているの?」「何故それが用いられているの?」という、設定に関する理由付けが不足している作品が特に異世界モノで多い。

文字・言語

一番目立つのが「文字」で、日本語や現実世界の言語で何故か表示されている場合が多い。
何故同じ言語が使用されているのかについて説明されず、何事もなくストーリーが進んでいく。
異世界では異世界独自の文化で生まれた独自言語があって然るべき、というより人の営みの上では必ずそうなるのだが…。

普通のアニメでも国外のキャラが登場する場合に言語が統一されているものが殆ど。
ただ、こちらに関しては仕方がない面が多い。例えば子供向けホビーの販促アニメ(『ベイブレード』シリーズ)などで国外のキャラクターの言語を全て現地通りにすると本当に意味が分からなくなるし、メインターゲット層に沿わない。
『Dr.STONE』では、海外の人間(Dr.ゼノやスタンリーなどアメリカ勢)が現地言語を喋っているという設定で読者や視聴者に分かりやすいよう日本語表記にしている、という手法をとっている。

文字と関連する問題点では、先述にも述べた「ステータスウインドウ」の表示。
これは本当にアカン。ゲームの世界そのまんま。

世界観・舞台

世界観(舞台)の問題。

異世界モノであれば、現世で死んで神によって転生させられ、異世界で第2の人生…となる過程で、何故その世界に転生しなければならないのかという理由は定めるべき。
超常的な能力(あまり好みではないが)を持って転生したならば、その力を持つ者が何故その世界に転生しなければならないのか、という明確な理由をしっかり決めなくては舞台の魅力そのものを引き立てることができず、そうなればそこに生きる生物や人間達の魅力など到底出せるはずがない。

何もこれは異世界モノに限った話ではなく、我々の世界準拠の日常系・非日常系でも同じ。
例えば、我々の世界の過去の時代を舞台にするのであれば、なぜ現代ではなく過去でなくてはならないのかという説得力は求められる。
『黒執事』は19世紀イギリスを舞台としているが、これは恐らく世界大戦の勃発・それに至るまでの経緯を「悪魔」「死神」というファンタジー要素を絡めて展開しているのだろう。
『かげきしょうじょ!!』についてもオスカルを目指す主人公の光の部分として「宝塚」を舞台とした「紅華歌劇学校」を主にしつつ、一方で主人公の過去の出来事から影の部分として「歌舞伎」を扱い、宝塚と歌舞伎の2つの面で舞台を築いている。
『推しの子』は言わずもがな、「芸能界の闇」を描くためにアイドル・俳優などがメインとなっているはず。
ただ、こういった舞台を描くためには当時や現場の資料を徹底的に調べ尽くす必要はある。

特殊な世界を舞台とするのであれば、当然ながらその世界の成り立ちや秘密・全容をしっかり決めておき、丁寧に明かすタイミングも必ず設ける必要がある。
練りに練った複雑な設定を舞台が有していても、視聴者・読者・プレイヤー側がしっかり理解できなくては意味がない。
これに関してよく出来ているのが、ゲームではあるが『ゼノブレイド2』であり、雲海の上に巨神獣と呼ばれる巨大生物が回遊している世界「アルスト」の成り立ちと現在の世界の仕組みを、シナリオ中で敵が不満を述べつつ真相に近づいていき、シナリオ最終盤でこの世界を作った者から主人公達に丁寧に語られる。これは優秀な手本となる。

特に何の意味もない舞台で、キャラクターが動き回っているだけ…。こういう作品は異世界モノであってもそうでなくとも、自分は魅力を感じられないので1話切りをする。

競技系作品であれば、当然ながら競技における採点基準・勝利基準は明確にすべき。

例えば、ベイブレードが少年達のスポーツとなっている『ベイブレードバースト』シリーズでは、

  • 相手のベイブレードをスタジアムの外に飛ばせば1点(オーバーフィニッシュ)
  • 相手のベイブレードの回転がとまれば1点(スピンフィニッシュ)
  • スタジアムの外の地面に着地するまでに分解・破壊をすれば2点(バーストフィニッシュ)
  • 全く同じタイミングで同じ判定となる場合は0点(ドロー)

という採点基準で、通常バトルであれば先に2点先取した方が勝ち、大会の決勝やタイトルマッチであれば3点先取制になる、判定が際どい場合はビデオ判定を用いるなど、競技内容を理解させ成り立たせるための基準がしっかり設けられ、厳格なスポーツとして描写されている。
何なら、バトル開始前に審判が「このバトルは2ポイント制で行います」「タイトルマッチは3ポイント先取制で行います」と丁寧に喋ってくれる。

逆に『ラブライブ』シリーズは、「ラブライブ」という大会での採点基準がかなり曖昧、というかほぼ不明で、歌唱におけるダンスやボーカルなどがどのような基準で評価点としてどの程度加算されるのかなどが分からないため、何故勝てたのか・何故負けたのかということが分かりにくい。接戦だと言われても何がどう接戦だったのかは誰にもわからない。
仮に勝敗の理由が語られていたとしても、パフォーマンスミスなどが理由となるなどかなり極端になってしまっている。

国・街単位での文明や風俗・種族の違い、対立

この辺りもかなりテキトーに定められているものが異世界モノに多い。

建物の建築様式・言語・信仰宗教・思想・技術などで、国や地域毎の特色を全面に出せる他、それらを用いた対立やすれ違い、協力といった面も描写できる。
しかし、そういったものを扱いきれない、若しくは扱わないがために、どの国や地域にストーリー展開が移っても同じものばかりで退屈な世界となっているものが目立つ。

何が問題となってくるかというと、「争い」「関係」の問題の原因がとてつもなくショボくなってくる。
現代のその辺りにいるチンピラの因縁レベルの原因が争いの問題になっていたり、投げやりで「人間の敵はとりあえず悪魔(魔族)!!」にしているものが目立つ。人間vs悪魔(魔族)の構図が悪いわけではないが、国や地域の違いをそっちのけで工夫もせずにその構図だけを全面に出している場合は結構酷い。

特に異世界モノで、現代日本など(転生前の世界)で見られる建築様式や文化が現れる場合は、何故それがそこにあるのかという設定や説明は求められる。

「争い」「関係」の問題をトリガーにできる要素として「種族の違い」も挙げられるが、こちらも活かせていないものが多いように思える。
よく見るのがエルフ、ダークエルフ、ドワーフ、獣人、魔物、悪魔辺り。
例えば獣人はよく奴隷扱いされているのだが、その獣人と他の種族の関係性の練りの甘さがあったり、褐色キャラを出したいためだけにダークエルフを採用したものの実はエルフと大差がない…みたいなことも見かける。
対立させるだけならば現代世界を見れば分かるように人間だけでもいくらでも発生するので、それが多種多様な種族が設けられれば種族間の関係はより複雑化する…はずなのだが、そういった設定が練られていなかったり、活かされていなかったりで、結局「見た目がちょっと違うだけじゃん」で終わってしまっている場合が多い。

同じ展開を繰り返す

これに関しては、次の例を見てもらった方が早い。
「弱虫ペダル」という自転車競技作品(漫画、アニメ)の、1年目のインターハイと2年目のインターハイの過程と結果。

1日目
  • 総北の先輩&後輩vs箱根の選手(1、2年目ともに)
  • 総北、箱根、京伏以外の学校のスプリンターが名乗って抜かれる(1、2年目ともに)
  • 総北の小野田がチームから分断されるが、爆速で追いつく(1、2年目ともに)
  • 1日目のゴール争いが総北、箱根、京伏の3校(1、2年目ともに)

2日目
  • スタートから間もなく、総北の一人が不調で出遅れる(1、2年目ともに)
  • 出遅れた選手を別の選手が「ヒメヒメ」を歌いながら引き上げていく(1、2年目ともに)
  • 箱根vs京伏のスプリントバトル(1、2年目ともに)
  • 熊本台一が作戦を立てるが失敗(1、2年目ともに)
  • 2日目のゴール争いも総北、箱根、京伏の3校(1、2年目ともに)

3日目(最終日レース)
  • 広島呉南が総北に手を出し、レース開始後は熊本台一を騙して集団結成(1、2年目ともに)
  • 集団に総北or箱根の選手が飲み込まれる(1、2年目ともに)
  • 総北or箱根の選手が広島呉南と何故かスプリントバトルになり勝利し広島呉南脱落(1、2年目ともに)
  • 総北の鳴子が失明気味になってリタイア(1、2年目ともに)
  • 総北の今泉のメンタルがポキる(ポキ泉くん化)(1、2年目ともに)
  • ポキ泉から立ち直った今泉vs京伏の御堂筋(1、2年目ともに)
  • 御堂筋が1人で限界を迎えて途中で回想が入ってリタイア(1、2年目ともに)
  • 最終ゴール争いは総北の小野田vs箱根の真波で、小野田が勝つ(1、2年目ともに)
  • 1位が総北、2位が箱根、3位が京伏(1、2年目ともに)

これは酷い。

弱虫ペダルの1年毎の供給期間が非常に長いため、その期間の長さも相まってほぼ同じ展開を繰り返されるのはかなりダルくなってくる。

ここまで露骨な「同じことの繰り返し」は滅多に見られないと思うが、あるワンポイントで感慨深いシーンにしたいという目的以外の大部分で、過去の展開と全く同じ展開を繰り返すのは良くない。

総括すると

しっかり考えられた作品が好き。

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