『マインドブランド』の混沌

ゲームプロセカ

マインドブランド

去年(2024年7月)に実装され当時プレイした曲。

YouTubeで年齢制限がかかる(18歳未満は再生不可となっている)ほどに強烈な曲だがプロセカに実装された。
今回は珍しく、リズムゲームだけでなく曲&MVの点も扱う。

リズムゲーム

ニーゴのカバー曲。
FULL版にある瑞希の「くたばれ雑魚め」はないが、原曲MVの衝撃のラストは一応ある。

難所は間奏で、謎テンポ部分と細いトレーススライドが強烈な難しさ。
最終盤辺りの横全幅1ノーツ+横全幅同時ノーツの配置も中々。

難所

急に間隔が異なる部分が控えている。


右側の細いトレーススライド。
判定が狭い間隔で存在しているのでミスが出やすい。


突如出てくる横全幅ノーツ3連発。
テンポが独特の部分なので要注意。

MV&曲について

MV

プロセカ版MVでは終盤になると、傷ついていた少女が上から雨の様に降ってくる
しかし背景は血のような赤色。少女の心情描写と見れる。




直後、画面いっぱいの大きな少女が一人落ちてくる。
これは先ほどと違い少女本人の物理的描写だろう。つまり建物の上層から真っ逆さまに投身している。


そして最後。
原曲MV通りに少女の頭部だけが血の色を背景に転がっている。
原曲では胴体が直立した状態で描写されていたが、こちらにはそれがない。
MVに参加しているメンバーが胴体を隠しているともとれるが……

曲について

この曲は個人的には以下のように解釈している。(FULL版の視聴前提)

  • 元々少女は、少年B(関係の片割れ)と肉体関係(遊び)、少年Aと恋愛関係(本命)にあった
    <触れあって埋めあって勝ち取った幸せ>=少年A(正義のヒーロー)の得たもの
  • 少女は少年Aを想い、尽くしていた
    <着飾って痛がってもぎとった幸せ>=少女(悲劇のヒロイン)が得たもの
  • しかし、少女が肉体(遊び)関係にある少年Bとの行為中、少年Bの甘言に乗り一瞬心を許してしまったことで少年Bの子供を身籠ってしまった。
    <指きりげんまん 星の彼方へ>
    <逆子宿らせ>
  • 自分の甘さから身籠ってしまったことに今になって焦り後悔している
    <愚図の頭。天真爛漫!?ほざくな馬鹿め>=少女が自分自身に対し
    <あどけの足らないそんな体で>=所謂「見た目(身体)は大人、中身(精神)は子供」
  • そのとき少年Bは妊娠に恐怖し少女を棄てて逃げていった
    少女はそんな臆病な少年Bに対し、<くたばれ雑魚め
  • 少年Aは少女が別の男の子供を身籠ったことに絶望し、少女を忘れ去りたい
    <幸せを盗られた正義のヒーローが泣いている>
    <抱きあって叩きあって分かちあったあの頃を、忘れてしまえたらどれほど楽だろうか>
  • 周囲の人間(同級生?)は意図しない妊娠をしたうえに少年Bに棄てられた少女に対し「いつ出産するのか」と、頻繁に嫌味で聞くようになる。
    <いついつ出やるの?かごめよかごめ>
  • その嫌味を言う人々のうちの一人は「あなた(視聴者)」(野次馬の誹謗中傷を指す)。そんなあなたを別の人間が少女を庇うように責める
    <嫌味をからげて嗤うあなたへぴたりと重ねて吐き出す情け>
  • 少女は少年Bとの間にできた赤子を出産。少女は出産した赤子に愛着が沸く。
    <擦り切れた肌かさぶた いかれた山場>
    <愛しさ交えて痛む片腹>
  • 少女は赤子を育てる母親としての存在意義を確立し、自分の過ちや愚かさを受け入れ人生における様々なことを学んでいこうとする。
    <またまたわがままばかかなまさか?>
    <まだまだながながまなばなきゃだな!>
  • 少女は周囲の人間(同級生?)と同じ成長を望むが、妊娠・出産・育児をしている自分が他と違うという現実を垣間見てしまう。誰もがいずれは自分と同じように子を持つようになるが、彼女は他の人が普通の恋愛で手に入れる愛を己が過ちで授かることができなかったことに改めて気付き再び後悔・苦悩・絶望し、自分の歩む道を見失うようになる。
    <そろそろみんなに?「追いつかないと!」>
    <うわごと混じりに?「彷徨う回路!」>
    <視界を滲ませ?「はかどる迷子!」>
    <誰もが元から 未来の材料へ(充てられている)>
  • そして少女は今が自分の望んでいた未来ではなかったと感じる。「本命だった少年Aと結ばれるために頑張ってきた記憶がなければ、自分はここまで苦しむことはなかった」「どれだけ強気で自分を装ってくだらない屁理屈(母親という存在意義)で納得させようとしても、今を望まない絶望・後悔・苦痛は消えることなく、必ず表面に出てきてしまい、それは現実として存在し続けている」と気付いてしまう。
    <わけあってかけあって重ねあった思い出を、忘れてしまえたらどれほど楽だろうか>
    <強がったって嘘はばれるぞ>
    <怖がったって血は流れるぞ>
    <匿った傷口開くぞ>
    <嫌がったって傷は痛むぞ>
  • 己が過ちから生まれた消えることない絶望と苦痛を消し去り解き放たれる術を考え続ける少女。少年Aとの思い出を何度も思い返す度に忘れたい欲望に飲まれていった彼女が、「愚かな自分」「望んでいない愛」「消えることない記憶」その全てから逃げたいと望んだ先で導き出したただ1つの答えは「自己の消滅だった。
    <~思い回しては悲観に暮れてみる>
    <~いっそきれいに、忘れてしまいたいんだ!>
    <※MVの最後のワンシーン>
  • MIND F××K

即ち、「若い男女のひと時の過ちとその後の不幸な末路」を扱っている曲であり、MVで(プロセカ版では投身し)最終的に頭部が飛んだ少女の行動は、その絶望から解放されたいが故の最後にして唯一の手段であったと認識している。
(その行為を推奨するわけではない)

少女は自分の過ちで地獄の苦しみを味わい続け自己の消滅に至る
少年Aは自分以外の誰かの男との間の子を設けた恋仲の少女に絶望
少年Bは責任をとる覚悟すらなく、惨めったらしく逃亡

確かにこれはYouTubeで18歳未満に対し年齢制限による再生不可措置が執られていてもおかしくない。

そしてそんな曲が、対象年齢4歳以上のプロセカに登場している。
ただ、こういった傷を生み出す場合があるということを男女双方に知ってもらうという意味では、楽曲登場はおかしくはないと思える。

昨今ではニーゴのイメージを真似たようなコンテンツやシリーズを展開しているところをちょくちょく見かける。
しかしこのマインドブランドのような曲を己が存在意義を求め続け苦しむニーゴに歌わせることは、生半可に真似ている他コンテンツには到底できないのではないだろうか。

こういう曲があるからボカロには惹かれ、こういった曲を様々な考えの下でカバーするニーゴの尊さを感じる。










自分の過ちにより大切なものを失い、そこから自分の存在意義を求め、絶望と後悔に包まれ、逃避・消滅を望むその姿。
『ゼノブレイドシリーズ』でも、クラウスマルベーニシンエヌヴォイドといった者達が似たような境遇に立たされていた。

彼らは描写のうえでは哲学的な面が非常に強く、何かしらの形で誰かに救済される。
しかしマインドブランドの場合、性描写がかなり強い印象があり、誰かに救済されることがない。
ただ、どちらも「人間らしさ」を良くも悪くも絶妙な形で表現している。

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