誕生日
毎年3月は誕生日なので、また一つ歳を重ねた。
年齢を重ねると体力が落ちるといわれるが、自分はまだ衰えがそれほど発生しておらず体力もある方だと自負している。そういう生活リズムを組んでいるからだと思うが。
最近は体内環境にも割と気を配っていて、肛門関連の病にならないように正常な排便ができる食事を組んで摂取するよう心掛けていたりとか、酸化ストレスやアミロイドβが多く発生しないような栄養配分になる食事を作るとか、それでいて自分がちゃんと楽しめる食事にするとか。
兎に角、考えることは飛躍的に増加したなぁという印象。
元々外食や買い食いは全くといっていいほどせず自炊するタイプなので、苦ではない。
お菓子も全く摂取しておらず、最後に摂取したのは10年以上も前では…?
ただ、プロセカをプレイしていると、指はともかくとして目の瞼がピクピクしたりしょぼしょぼしたりで、眼球辺りの方は順調に衰えてきているのかもしれない。
なんとか何かしらのトレーニングで衰えを無くすことはできないにしても衰える速度を落としていきたいなあと。
年月を経ると忙しさが増すだの体の調子がだのという話でなりがちで、あんまりよくないっすね……
一応これ誕生日の項なんすけど…
春アニメ
リストを見た限りだと『Dr.STONE』くらいしか無いなぁ…という印象。
実際に観ればもう少し増えるかもしれないが、今のところは来季は春だけど氷河期っぽい。
『薫る花は凛と咲く』みたいな作品にお目にかかれればいいなあ、と淡い期待。
PCを占領していた謎のダンプファイル群
長らくサボっていたPCのストレージチェックを実施したら、Cドライブの使用容量が以前よりもかなり肥大化していた。
「WinDirStat」でドライブ内を確認してみると、Apple関連のダンプファイルとログで膨れ上がっており、数GB単位で容量を食っていた。
特に「Apple Computer」内の「CrashReporter」のレポートファイル、「Apple Computer」内の「iPhone Temporary Files」のaeaファイル辺りが凄まじく、後者に至っては現行PCは数年前に購入したものなのにaeaの作成日時が2005年で驚いた。
前者のレポートファイルはフォルダ名の通りiTunesやiCloudがエラーを吐いた時に記録されるもので、かなり前の端末(当時はiPod touch)とiTunesの間でかなりエラーが出ていたので恐らくそれ。
Appleにサポートを求める際に提出する用のものらしいので不要と判断し消した。
後者のaeaはiTunesでipswファイルを用いてiOSデバイスのOSをアップデートしたり復元した際、記録されるファイル。
最近はiPhoneの設定アプリからソフトウェアアップデートを実行する事が殆どだが、iPod touchを使っていたかなり前の当時はデバイスからOSアップデートをするとかなりの確率で失敗していたため、その度にiTunes経由で復元したりipswファイルを使ってアップデートしていたので心当たりはある。
問題なのは、その際に記録されたファイルがそのまま残って蓄積されていたということだが、PCも変更しているのに何故当時の記録ファイルがそのまま引き継がれているのか…。
iTunesのAppleアカウントを引き継ぐと、このファイルも飛んできたりするのか……??
その他、イラスト制作で使用している「CLIP Studio」でも容量を食っていたものがあったので削除。
「CELSYS」→「CLIPStudioCommon」→「promenade」→「dbcache」内のファイルがかなりの容量を占めていたのだが、このファイルに関してCLIP Studio公式フォーラムで海外ユーザーが「これ何?」と質問していたが碌な回答を公式もユーザーもしていなかったので判断材料としてはかなり役に立たなかった。
結局のところこれが何なのかとなると、ダウンロード済みの素材の表示を高速化するためのキャッシュデータという感じのようで、素材を使っていれば自然に蓄積されていくもの。
とはいえ、暫く使っていない素材のキャッシュも残り続けるので容量としては肥大化していく。
このフォルダに関しては定期的に自分でアクセスしてキャッシュデータを消していった方がいいか。そういう機能をアプリ側で用意すべきとは思えるが。
ゲーム事情
風花雪月
エーデルガルトルートでも始めたカンスト企画でようやく第2部に到達。
後に個別に記事にする予定だが、カンストを狙うキャラがリシテアちゃん、エーデルガルト、イエリッツァ、フェリクス、アネットの5名と過去最多になっているので、散策毎の聖墓厳選がほぼ妥協できず相当な時間をかけている。
第1部最終戦ではエーデルガルトでレアにカンストは出せないものの900ダメージ超えを狙おうとして、これまたかなりの時間をかけた。
ディミトリルートで同じくカンスト不可だが900ダメージ超えを狙った覇骸エーデルガルト戦があったので、これになぞらえた形で実現。

こうして長い時間をかけてようやく本作本ルート大本命の身内殺しができる第2部に突入。
記事にするのは企画が終わってからになるはず。
この企画が終わったら「引継ぎ無し難易度ルナティック」をクリアし、『無双 風花雪月』に移行したいと思っている。
プロセカ
太鼓の達人コラボや2月辺りの追加曲は結構真面目に取り組んでいた。
太鼓の達人SEでは、フルコンボ継続中に一定コンボに達する度に「○○コンボ~」という声が発生するのだが、これはプロセカverSEでも編成5名の各キャラが発してくれるようにしてくれてもいいのではないかと感じる。
イベントに関しては、えむのイベントストーリーが最近の話の中では結構好み。
イベント曲の「とびだせ!わんだぴょい」もかなり好き。

誕生月最初の曲と誕生日翌日の追加曲もフルコンボできているので結構嬉しい。
こちらの記事に関しては近日中に公開したい。
ゼノブレイドクロスDE
突如発表された「Switch2Edition」のリリース。4K及び60fpsに対応することになった。
アップデート価格も550円と超お手頃。
アップデートパッチを適用して起動すればすぐ分かるが、携帯モードでも画質がSwitch以上に化けている。
Switchの時でも画質が凄まじいと感じていたのに、さらに向上するとは驚き。

WiiUという土台があったからこそ実現できているのかもしれないが、次作や『ゼノブレイド2』のSwitch2EditionなのかDEなのかにも期待したいところ。
その他
AI関連
AIイラストを街中などでかなり見かけるようになった。
その一方で、汎用性の面で圧倒的なシェアを占めていた「いらすとや」のものを見かける機会は結構減っている。
いらすとやからAIイラストに乗り換えが発生しているといった具合だろうか。
今は離れたPixivも、離れる以前よりもAIイラストが爆発的に増加している。
イラストレーターの仕事に関しても、表向きの大きく見えるコンテンツ群に関しては手描きのものが多い一方で、中小規模のものに関しては制作過程でAIを起用したりAIに全てを一任するといった手法をとるようになったところが目立つ。
アニメに関しても同様で、制作過程にAIを導入する製作会社が増えてきている。
ここからが本題のわけであるが、そういったクリエイター関連でのAI技術の導入に関して、世間では賛否がある。
個人的な意見としては、人の文明である以上は導入は必然であり、歴史上の観点からも止めることはできない、と考える。
すっぱり言えば、芸術面での「産業革命」といえる。
絵柄や作風云々の問題がよく取り上げられるが、これは手描きでも大して変わらない。
例えば、世代において流行りの絵柄というものがある。
影を多く付けるだとか、髪の情報量だとか、色合いだとか、そういったものは時代によって変わっている。平成初期と令和現在の作風の違いを見ればよく分かるだろう。
その度に、イラストを描く者達はそれを作風のデフォルトとして自分の絵柄に取り入れる。
この絵柄を初めに生み出したものに対して権利だなんだということは殆ど無く、暗黙的に取り入れて流行の作風に乗ろうとする。
或いは、Google画像検索などで資料を検索して自分の作品に取り入れるユーザーも一定数はいる。
既に存在している何かを基にして新たなものを創り上げるという点では、AIも人力でも同じであり、それをペンを握ってキャンバスの上で手作業でやるか、自動化させるかの差でしかないと思える。
だから個人的には「AIでやりたい人がいるのであれば勝手にやっていればいい」という考え。とはいえ、後述の二次創作に関しては一次創作側の掲げるガイドラインを遵守する必要があるが。
二次創作も同様で、二次創作に用いているキャラクター等は一次創作者あってのものであり、それを(そのまま)取り入れて制作しているに過ぎない。
というよりも、今の流れに反対している者の中に一次創作者はそれほど多くなく、寧ろ二次創作者が批判している場合の方が多い。
何故なのかとなると、一次創作者の場合は自分で世界観を作ることができるからだろう。元々二次創作は大方黙認する立場であったので、二次創作が手描きで作られようがAIで作られようが、それにおいて発生する問題(世界観を崩す、性的描写など)は大して変わらない。
一方で二次創作ユーザーの場合、人様の作品の存在にあやかって評価や金銭を得ている中で、同じ作品で短時間で大量のイラストを出力されると自分の居場所が埋もれてしまうため、特に同人ゴロと呼ばれる存在は強く煙たがっている。
個人的に滑稽だと思えるのが、二次創作の作品に「学習・無断使用禁止」などとウォーターマークのようなものを入れているユーザーがかなりの数いるというところ。
人様の一次創作品を勝手に使っておいて、自分が無断使用や学習をされるのはダメ、というのは流石に身勝手・盗人猛々し過ぎて如何なものかと感じる。
「権利元(一次創作側)に迷惑がかからないような配慮」と述べる者もいるが、裏を返せばその者自身が二次創作を迷惑行為の一端と認識していることにしかなっておらず、そもそもどうしてただの二次創作者が公式(一次創作側)の守護者みたいな立場と態度になっているのかすら疑問に思える。
根源的には、一次創作のような感覚で自分の要素を守りたいようにしか見えず、非常に見苦しい。
それに商業的な面においては、AIイラストをとるか手描きイラストをとるかを決めるのはクライアントや消費者となる。
極論を言えば、これまで様々な先人の手作業による生産技術も機械化されて量産できるようになっている。
機織り技術もそうだし、陶芸技術、製紙・活版技術もそうだろう。
これらはかつて先人達が様々な試行錯誤を経て生成技術を編み出し、当時はそれらは職人業の面があった。
そこから18世紀~19世紀に産業革命が起こり、様々な生産過程は自動・機械化され、職人は淘汰されていっている。
そうして現代では、かつて職人達の業によって作られていた品々の殆どは機械により大量かつ高速で量産され安価で市場に流れ、ほぼ全ての人がこれを購入している。
クリエイター業に生成AIが登場し普及しつつあるのも、これと同じ流れであると見ている。
そして、この流れに反論できる者がいるとするならば、それは産業革命によって自動化され量産された品々を一切使わず職人が手作業で作り出したもののみを手にしてきた者だけだと思うが、恐らくそんな人間はこの世にはいないだろう。
ただ、どんなに技術が進歩して産業革命が起こり自動・量産化体制が整っても忘れてはならないのが、その技術が確立するまでの先人達の努力となる。
紡績業にしても陶芸にしてもイラストに関しても同じことが言える。
また、手描きとAIの区分をしっかりすることは重要だと思える。
現行Pixivは体制構築においてそれが全くできていない、いい失敗例だろう。
自分は自分の作品の世界を作っていきたいので手描きイラストを続けていくが、『ロックマンエグゼ』のネットナビや『流星のロックマン』のウィザードのようなAIに基づく「疑似人格プログラム」が誕生・一般普及してほしいので、生成含むAI技術はどんどん進化していってほしいと願っている。
最近のアニメ傾向に関して
自分は、『牙狼 -炎の刻印-』みたいに未熟な主人公を長期間かけて徹底的に追い詰めて成長させていくタイプの作品はかなり好き。
この作品の場合だと真っ当なもう1人の主人公と、未熟なメイン主人公を対比的に描写させているわけだが、追い詰める期間が全24話中17話くらいあるのが凄まじい。
その長い話の中でメイン主人公に足りないものを丁寧に描けているところが個人的には圧倒的に好き。
そういった成長性を存分に描いたタイプの作品はもうウケが悪い時代になっているのかもしれない。
今季や来季のラインナップを見れば大体感じ取れるが、チート系や異世界転生系、強力スキル系、悪役令嬢系が圧倒的に多い。
これらの作品のコンセプトは前の記事でも述べた通り、「おじさんやおばさんの欲望」でしかない。
欲望を満たすことが最重要点であるためか、世界観は結構雑。
例えばおじさんの欲望を描写するアニメでは、トラックに跳ね飛ばされるとか前世とか追放されたとかの過程はともかくとして、ハーレム要素があったり、強いスキルを転生時か何かで得て物語序盤から無双をしていたり、現代の文明水準をもたらすなどで、それらによって自分が称賛されるというものが多い。
端的に言えば、「自分の力と行いを全ての者に認めてほしい」という点に集約されると感じられる。
現代技術を伝播するにしても、ハーレムを築くにしても、冒険をするにしても、自分の存在性を人間だろうが亜人だろうが精霊だろうが悪魔だろうが神だろうが、全てに認めてもらってトップに君臨するという、現代社会では社会構造上圧倒的に困難な願望を成し得たいというところ。
おじさんを主人公とする作品も稀にあるが、結局これも上述の要素で構築されているだけ。というよりおじさんの周りを娘くらいの年齢の女の子が囲っているという構図が……
もう片方のおばさんの欲望を描写するアニメにおいては、悪役令嬢だの婚約破棄だのの分類はともかくとして、「権力」「身分」「結婚」に対する異常な執着が全面的に非常に強く感じられる。ターゲット層などを見れば妥当だろうとは思うがそれにしても強烈すぎる。
それを前提としたうえで、自分を虐めてきたものを失墜させる・見返す、或いは悪役を謳いながら別人を浄化する(自身の過度な聖人・神格化、美化)などという展開が多く、周囲の人間が代わりに処理し溺愛してくれるので当人は何も知らず未熟なまま終わる、といったものも見られる。
つまるところ、「見た目はこうだけど中身はいいので私はあいつよりは上だから、(少なくとも)あいつよりは溺愛されなければおかしく、本当の私(美化で聖人した自分)を知ってくれれば皆が(神への崇拝の如く)愛してくれる」を根底として先述の執着心の強い欲望を満たすという形であり、所謂「オタサーの姫」的な面が強く、究極的には男性に求める理想像が高く婚活市場で溢れ結婚に至れない者らの願望を満たした作品形式といえる。
美化という面に関して、男性向けのタイトルでは「おじさん」などが使われている一方、こちらの女性向けタイトルでは「おばさん」が用いられないのもそうだろう。
また共通してゲームを参考にした世界観のものが多く、既視感のあるゲームの世界に転生するような形のものも多い。なんだったらステータスオープンをしてステータスを確認したりする。
但し、おばさん向けの作品群(乙女ゲームへの転生系)に関してはそのゲームの設定はほぼ無視され、ゲームとしてはかなり捻じ曲げられている。
何故このようなものが求められているのかとなれば、「現代社会への不満」が主だろう。
不況などで自分の欲求が満たされないことは当然そうだと思える。
また、スマホなどでネットを手軽に扱えるようになったことで自分と他人を比較する機会が増えてしまい「不平等」を先の時代以上に大きく身近に感じてしまう面もあるだろう。
そこから「自分だってこうだったら…」という別の架空の自分を作って逃避をしたいという意志に沿っているのが、これらの願望系作品と感じる。
自分がこの作品群に対して「歪」と感じるのが、自分の不満の受け皿となる願望描写作品内で動くのは結局のところ願望を持つ本人ではなく自分以外の誰か(或いは自分以外の作者)でしかなく、その誰かに自分を投影して物語を読み進めるにしても、自分を投影した誰かが物語でゴールをしたとして、そのゴールは自分のものではないので、結局自分が元々持っていた権力だの結婚だのハーレムだの絶大な信頼だのといった根源的な願望は満たされず、現実に引き戻されるだけでしかないのでは、というところ。
欲望は満たされないまま物語が終わってしまっているために、結局は一時的な逃避にしかなっていない。
逃避を目的として作品に触れているにしても、その逃避が自身の抱く願望に対して何か進展があるかとなるとそうでもない。
逃避をするなというわけではないが、逃避をするにしてもそこから自分の抱くものに関して進展がなければ、逃避癖がついて腐るだけなのではと感じられる。
そういった面から、個人的には、投影せずに応援できる形の作品が健全だと思える。
これは推し活とは違う。推し活は単に金を貢がせ集金するだけの搾取システム構造を体のいい言葉で言い換えているに過ぎない。
投影が関与しない形で、物語の中で成長していく人物を応援し、その人物の姿が自分の人生の道を進む原動力となればそれは現代社会においても逃げ癖ではなくいずれ社会の原動力になっていくと思えるし、今の社会はそうした原動力が感じられず寧ろ逃げ癖を大きく感じる。
なので、自分は先述した『牙狼 -炎の刻印-』のような作品が好きだし、最近だと『メダリスト』のような作品も好き。
ゲームにしても、プレイヤーアバターが主人公となる『ゼノブレイドクロス』よりも、メッセージ性を持つ登場人物の一人であるレックスが主人公を務める『ゼノブレイド2』の方が好き。
ついでに言うのなら、「○○が▼▼で◇◇に~」というやたらめったら長い説明口調な作品タイトル名は何とかならないものかなと。
その作品の内容がタイトルで分かるので取捨選択をしやすいという面があるのかもしれないが、タイトルの重みがなくチープな印象がちらつく。

